【写真の向こう側】



 ある晴れた休日の午後、私は一人で街へ買い物に来ていた。
 アクセサリーや学校で使う文房具を買い、疲れたのでもうそろそろ帰ろうかと思いながら歩いていると、道の遥か先に日比谷君がいるのが見えた。私服姿の彼は駅前広場のベンチに腰を下ろし、何か紙のようなものを熱心に見ている。
 せっかくなので、私は声を掛けてみることにした。小走りで日比谷君に近付き、驚かせないようそっと呼ぶ。
「日比谷君」
「あれっ? 先輩じゃないッスか。偶然だな。買い物ッスか?」
「うん。買い終わったから家に帰るところ。日比谷君は……」
 私は日比谷君の手元を覗き込んだ。縦長の紙袋と一緒に、沢山の写真がある。彼はそのうちの数枚を私に向けると、にっこり笑った。
「ジブンは、現像に出した写真を見てるんスよ」
「へぇ。私も見ていい?」
「どうぞ」
 私は日比谷君の隣に座り、写真を受け取った。ショッピングモールの吹き抜け広場で撮られたらしいこれらは、全部が彼自身の写真である。しかも妙に気取っており、取っているポーズが非常にわざとらしい。浮ついているというか、身に付いていないというか、無理矢理格好つけているのが見え見えなのである。
 私は顔が引き攣るのを感じながら、日比谷君に聞いた。
「これ、どうしたの?」
「この前、幼馴染みの友達に頼んで、ショッピングモールで撮ったんスよ。実は、葉月先輩のスナップを参考にしています」
「葉月君の?」
 日比谷君は、鞄の中から一冊のノートを出した。それは葉月君が載った記事の日比谷君お手製スクラップファイルらしく、タウン誌やファッション誌の切り抜きが丁寧にまとめられている。その中で、日比谷君はとあるページを開いて私に差し出した。
「これッス」
 見ると、日比谷君の写真と同じ場所で同じポーズをした葉月君の写真が貼ってある。これは記事ではなく、生写真だ。
「これ、日比谷君が撮った写真?」
「そうッス。一ヶ月前、××っていう雑誌の撮影があのショッピングモールであったッスよ。
 先輩は行かなかったんスか」
「そういえば、そんなことがあったような気がする」
 私は頭を巡らせる。言われてみれば、一ヶ月ほど前に、撮影が終わったばかりだという葉月君とそこで偶然会ったのだ。買い物を終えたばかりの私が葉月君と話していたら、ファンらしき人に大声で中傷されてしまった。気を遣ってくれた葉月君は私にすぐ帰るよう言うと、彼自身も足早にその場を去った。多分、日比谷君の言う撮影会はこのことだろう。
「雑誌用の撮影だから一般人は撮っちゃいけないって言われたんスけど、こんな機会は滅多にないんで、隠し撮りしたんスよ! そうしたら葉月先輩もジブンに気付いてくれて、目線を貰ったんです!
 ほら!」
 日比谷君は横から手を出すと、私の手元にあるスクラップファイルの次のページをめくる。すると、葉月君がちゃんとこちらを見ている写真が、2Lの大きさに引き延ばされて貼ってあった。気のせいかもしれないが、他の写真よりも葉月君の表情が柔らかく感じられる。もしかしたら、知った顔がカメラを構えていたことに対する彼なりのサービスだったのかもしれない。
 私は写真の葉月君の顔をうっとりと見ながら言った。
「葉月君、格好良いね!」
「ジブンの宝物ッス。いつかはこうなりたいッス!」
 ここで、私はようやく気付いた。どうして日比谷君と同じポーズをした葉月君の写真があるのかと思ったのだが、実は逆だったのだ。撮影でポーズをつけた葉月君の真似をした日比谷君が、他人にシャッターを頼んでさっきの写真を撮ったのである。できあがった写真の日比谷君に無理があるのも当然だった。
「それで、葉月君と同じように撮ってみたのね」
「はい。先輩の目から見て、ジブンはどうッスか? 少しは葉月先輩に近付けたッスか?」
「えっと……それは……」
 どうしようかと私は悩んだ。写真だけで言えば、正直なところ葉月君と日比谷君では雲泥の差がある。でも、日比谷君が葉月君に比べて駄目だというのではない。問題なのは日比谷君が葉月君の真似をしているからであって、彼が普通に撮られていればもっと良い仕上がりになるだろう。
 しかしこれは、葉月君のようになりたいと真剣に願っている彼にとって禁句である。それがよく分かっているだけに、私は困ってしまった。
「先輩?」
「え? あ、あぁ……うん……葉月君はモデルさんだから、撮られ慣れているよね。日比谷君も、頑張ればそうなれるんじゃないかな?」
 私は苦し紛れに適当なことを言った。
 だが、日比谷君は私の言葉を聞いて嬉しそうに笑う。
「そうなんッスよ! 葉月先輩はそれを仕事にしているだけあって、全然違うッスよねー。先輩に指摘してもらったように、ジブンの甘さには気付いていたッス。
 やっぱり先輩は凄いッスね! ただ褒めたりけなしたりするんじゃなく、ジブンの為にずばっと事実を言ってくれるだなんて流石です!」
「……そ、そうかな、ははははは」
 私は笑うしかなかった。本当のことを言わなくて良かったという思いと、喜んでいる彼への後ろめたさで、心の中は複雑である。


 数日後の休み時間、私が学校の教室で友達と話していると、クラスの男子に「客だ」と言われた。誰かと思って廊下まで移動すると、日比谷君が照れくさそうに立っている。
「日比谷君?」
「先輩! お忙しいところ、すみません」
 そう言うと、日比谷君は持っていた白い封筒を私に差し出した。
「ん?」
「これ、先輩にプレゼントするッス」
 私は封筒を受け取る。中には、沢山の写真が入っていた。
「あ! 葉月君の写真だ!」
「先輩、この前すっごく欲しそうに見てたから、急いで焼き増ししたッス。これ全部、先輩にあげます」
「本当っ?」
 つい、私は大声を出してしまった。これまで、葉月君と二人だけで遊びに行ったことがある。その時にカメラを持っていって写真を撮ったりしたのだが、こういうモデル仕様の彼の生写真を持つのは初めてだ。改めて見ると、葉月君は本当に格好良くて素敵である。柔らかく微笑む顔、物憂気な顔、キリッとした真剣味溢れる顔……ポーズと共に表情も様々だった。隠し撮りというだけあって、周囲のお客さんが写っていたりするけれど、私にとってはもう充分だ。
「有難う、日比谷君!」
 心からのお礼を言いながら、私は物凄い勢いで写真を見ていった。しかし半分が過ぎたところで、突然に被写体が葉月君から日比谷君に変わる。例の、葉月君を真似た何とも言えない写真達だ。
「……あれ? これ、日比谷君の写真じゃない?」
「そうッス。先輩には、是非持ってもらいたくて」
 写真が日比谷君に変わったからといって途中で手を止める訳にもいかず、私は苦笑いでそれらを見ていった。失礼だが、何度見ても葉月君を真似ている日比谷君は変だ。けれど、単に日比谷君を馬鹿にしてそう思っているのではない。強いていえば、幼い子供が無理に大人ぶっているのを微笑ましく見ている感じである。
「ジブン、これからも葉月先輩を目標に頑張るッスよ。先輩も応援して下さい!」
「う、うん。頑張ってね」
 私の戸惑いをよそに、日比谷君は楽しそうに廊下を走って去っていった。私は小さく溜め息を吐いて、写真を封筒の中にしまう。


 日比谷君の攻勢は、それだけでは終わらなかった。
 彼は事ある毎に、葉月君のポーズを真似て気取ったブロマイドを撮っているようで、その焼き増しを私にいちいち渡しに来るのだ。最初の時に、私が彼から貰った葉月君の隠し撮り生写真に相当喜んでしまった為、それが日比谷君の写真にも掛かっているのだと彼は勘違いしているらしい。要らないとはまさか言えず、受け取ったのに捨てるというのも可哀想なので、大きな封筒に入れ直して、自室の机の一番下の大きな引き出しに入れてある。ちなみに葉月君の写真はベストショットを写真立てに入れ、残りは日比谷君に貰った封筒のまま、いつでもすぐに出せるよう一番上の引き出しにしまっていた。
 月日が流れていくにつれ、日比谷君の写真がどんどん溜まっていく。その度に私は感想を求められ、適当に言葉を濁し続けていた。



 そして今、私は日比谷君と一緒に下校している。途中の道で、私をわざわざ待っていたらしい彼に声を掛けられ、度々寄っている喫茶店にこれから行くのだ。
「先輩、今日も新しい写真を持ってきたんスよ。楽しみにして下さいね」
「……うん」
 相変わらず私は、迷惑だと思ってしまう内心とは逆の顔で答えてしまう。いけないとは思いつつも、日比谷君に真正面からぶつかる勇気がなく、中途半端な態度を取っていた。
 喫茶店に入った。空いていた席に向かい合わせで座り、私はブレンドコーヒーを、日比谷君はオレンジジュースを頼んだ。
 飲み物が来るのを待ってから、日比谷君は鞄から封筒を出す。あの中に写真があるのか……と、私はつい目を逸らしてしまった。
「これ、どうぞ! この前、森林公園で撮った写真ッス」
「有難う」
 心にもないお礼を私は言った。
 本当はこのまま私の鞄にしまいたいのだが、日比谷君がきらきらした目で「早く写真を見ろ」と言ってくる。観念して、私は封筒の中の写真に手を掛けた。
 礼儀なので、一枚一枚丁寧に見ていく。葉月君を手本にしているのは変わらず、モデル気取りの写真が続いた。
「あれ?」
 私は、めくっていた手を途中で止めた。それまでとは違い、リラックスした日比谷君が自然な笑顔で写っているのである。
「ねぇ、日比谷君! これ、いい写真だね」
「あ、それ! 間違えて焼き増ししたんスね。すみません」
「どうして謝るの? この日比谷君って素敵だよ」
「普通過ぎてつまらない写真ッスよ。捨てて下さい」
「えー?」
 私の異義に、日比谷君は不満そうにしている。彼はこの写真を見ているだけで嫌らしく、私の手から奪おうともした。寸前で躱したので、そのまま他の写真と共に鞄へしまう。
 日比谷君が、両手を顔の前で合わせて私に懇願する。
「先輩、頼みますよ。その写真、ジブンは好きじゃないんです。破って捨てて下さいね!」
「分かった分かった」
 その気もないのに返事をした。私が笑いながら言ってしまった為、日比谷君は信じていないようだったが、それ以上は何も言わずに大人しくジュースを飲んでいる。
 コーヒーを飲んで一息ついたところで、私は改めて日比谷君に問う。
「ねぇ、日比谷君」
「はい?」
「いつからこういう……葉月君の真似をして写真を撮り始めたの?」
「ジブンが中学の頃からです! 初めて見た雑誌の中の葉月先輩が滅茶苦茶格好良くて、親に頼んでシャッターを押してもらいました!」
「そう。
 じゃあ、さっきみたいな普通の写真は撮ってる?」
 途端に日比谷君はつまらなさそうな顔をした。
「たまに……出掛けた先で友達と一緒に撮る時とか、さっきの写真みたいに不意打ちで撮られたことはありますけど……。
 でもジブン、そういうのは嫌なんですよ」
「葉月君みたいじゃない自分の姿を見るから?」
「そうです! 葉月先輩はジブンの憧れッスから!」
「でも、そうしていても、日比谷君は日比谷君なんだよ? 葉月君そのものにはなれっこないんだから、もっと違う方法で自分を磨けば良いのに。
 もしかして、それが分からないから手っ取り早く目標を決めて、なりきろうと頑張っているの?」
「先輩……随分キツいことを言うんですね」
「あ、ごめん」
 日比谷君はふてくされている。私は慌てて謝ったが、フンと鼻を鳴らして顔を背けてしまう。
「先輩だけは、ジブンのことをよく分かってくれると思っていたのに」
「そんなの無理よ。だって、私自身のことが理解できてないのに、日比谷君のことまで手が回らないもの。
 とにかく、日比谷君はもう少し自分の方に意識を向けた方が良いよ。こんな真似をしなくても、もう少し年を取って落ち着いたら葉月君に負けないぐらい格好良くなれるってば」
「でも、ジブンと葉月先輩って、たった一つしか年が離れていないんスよ? ジブンが年を取った分、葉月先輩はもっと渋くなるんスよねー。いつになっても追いつけないじゃないですか!」
「それは──仕方ないよ。考え方を逆にして、葉月君よりも一つ若くいられると思えばいいじゃない」
「……」
 日比谷君は私のフォローに納得がいっていないようだったけれど、私は無理矢理話を収めた。彼はまだ葉月君を追っているだけで精一杯なのだと、さっきの会話でよく分かったからだ。すっかり視界が狭まってしまっている彼に私が正論だと思えることを煩く言っても、聞く耳を持ってもらえない。
 あくまでも予想でしかないけれど、たった一歳しか違わないはずなのに明確に出ている葉月君と日比谷君の差は、人間としての個人の成長が一番大きく関係しているのだろうけれど、置かれた環境の違いも深いのではないかと私には思えた。人懐っこくて皆に好かれ易い日比谷君に対し、葉月君は自分から人を遠ざけているところがある。また、葉月君は両親と離れて暮らしているらしく、いつも独りだ。
 ゆっくりと成長していることに焦る日比谷君と、状況的に早く大人にならなければいけなかった葉月君。
 どちらが幸せかなんて、私には言い切れなかった。
 それに、今はまだ幼いところが抜け切れていない日比谷君だけど、きっとあと二年ほど経ってはばたき高校を卒業する頃になれば、良い意味で今の葉月君に並んでいるに違いない。
「まぁ、時間はまだあるしね」
 私は自分自身に言い聞かせるよう、小さな声で呟いた。それが微かに日比谷君に聞こえてしまったらしく、彼が私の方へ耳を寄せる。
「え? 何スか、先輩!」
「ううん、何でもない」
 頑張れ、と私は心の中で日比谷君にエールを送る。今は届かないだろうけれど、いつか彼の方から聞いてくれる体勢を整えてくれるはずだ。


 お茶を終え、喫茶店の前で日比谷君と別れた私は、一人で家に帰った。
 二階に上がって自室に入ると、着替えるよりも先に鞄から例の封筒を出す。中の写真をばらばらと手早くめくり、一枚だけあったあの自然な日比谷君のショットを選び取った。
「やっぱり、こっちの方が良いよ」
 どこにも力が入っていなくて、日比谷君の魅力がとてもよく出ている写真に思えた。これを撮ったのは他の写真のシャッターも切った友達だろうが、せっかくの写真なのに本人に嫌がられるとは可哀想だ。今の日比谷君を考えたら、相当狙わないとこういう写真は撮れないに違いない。
 暫くそうして見つめた後、私は小物を置いている棚の前に移動した。ここには、以前に日比谷君から貰った葉月君の写真を飾っている。私はその写真立てを持ち、裏蓋を外して、葉月君の写真を出した。代わりに日比谷君のあの写真を中に入れ、蓋を閉めて元に戻す。取り出した葉月君の写真は、他の彼の写真と一緒に机の一番上の引き出しにしまった。
 残りのモデルポーズの日比谷君の写真は、残念ながらいつも通り引き出しの一番下行きだ。ごめんね、と謝りながらそこに入れる。
 だけど、私には強い予感がしていた。近い将来、日比谷君から貰った彼の写真を整理する為に、専用のアルバムを作るようになるだろう。そしてそこには、誰の真似をするのではなく、私が飾ったばかりの写真のような如何にも彼らしい無邪気な笑顔で溢れているに違いない。













例のスチルを見て思い付きました。
最初に見た時は、確か千晴くんを攻略している時だったと思いますー。
ゲームをスキップして進めていたらいきなりあの話になって、
王子狂の私としては
「今、王子の写真があったよね? ちゃんと見ておけば良かった」と思ったのでした。
後でそれがスチルだと気付き、別件でアルバムを見るついでに確認したものです。
日比谷君については……修学旅行後のスチルのように
髪を下ろしてくれれはなーと思っています(禁句?)。
(20020724 UP)