【ラブシール】



 一月一日!
 新しい年の始まりである。大晦日ということで遅くまでテレビを見て夜更かししていたので、今朝は遅く起きてしまった。尤も、それを咎めるはずの両親は私より寝坊していたが。
 我が家で一番早く起きたのは弟の尽だった。私がまだパジャマのままベッドのままでだらだらとしていたところへ、ノックもせずに突然部屋に入ってくる。叱ると、謝りの言葉の代わりに年賀状の束を置いて出ていった。
 尽が消えると、私は年賀状を見た。中学までの懐かしい友達、そして今のはばたき高校の友達からだ。その中には、あの葉月君からのものもある。版画っぽいお洒落な干支の絵がとても格好良い。
 私の年賀状はクリスマス前に投函しておいたが、貰った人の中に出し忘れがないかを一通りチェックして、机の上に置く。皆、新年を祝う定例文の他に、一言程度のコメントを書いてくれている。後のお楽しみとして、私は支度をすることにした。
 今日は、私の家に従兄弟の一人が来る予定になっている。小学生の女の子なのだが、尽よりも私に懐いてくれて、家に来た時には彼女とよく遊んでいるのだ。毎年の正月には、挨拶がてら晴着を見せあいっこしている。とはいえ、振袖を何着も持っているはずがなく、いつも同じ物だと分かった上でだが。
 おせち料理にお雑煮と、正月定番な朝食を済ませ、お年玉という子供の特権を受けた後は、いよいよ振袖の着付けに掛かった。母親にお願いして、長襦袢から手伝ってもらう。
 通り掛かりに部屋を覗いたらしい尽が顔を出す。
「そんな着飾ったって意味ないじゃん」
「だって、こういう機会でもないと振袖なんて着ないんだもん。いいでしょう? 放っておいて」
 尽の軽口に、私は冷たく答える。着替え終わったら神社にお参りに行くつもりだが、やはり見せる相手が身内だけというのは淋しい。しかし、それを言うのは悔しかったので、尽の前では平気振っている。
 髪に大振りの簪を飾り、全部の支度が終わった。ちなみに振袖は、御所車に雲の柄である。祖母の見立てだ。
 そうこうしているうちに、従兄弟達がやってきた。叔父叔母に挨拶をし、着物姿の従兄弟の××ちゃんと再会を祝う。少し会わない間に彼女は背が伸びたようだが、可愛らしいのは相変わらずだった。女の子に目敏い尽も気になるのか、今年は珍しく私達の周囲をちょろちょろしている。
 私の部屋に××ちゃんを連れていき、お互いの近況報告をしながら楽しく話していると、突然私の携帯電話が鳴った。ごめんね、と言って手に取ると、ディスプレイには葉月君の名前が出ている。新年早々何だろうと思いながら、私は電話に出た。
「もしもし」
『あ、葉月だけど』
「明けましておめでとう、今年もどうぞ宜しくお願いします」
『……あぁ、宜しく。
 今、時間あるか? これから初詣に行くんだけど、一緒にどうかと思って』
 私はまず部屋の時計を見て、それからベッドに座って雑誌をぺらぺらめくっている××ちゃんを見た。葉月君に憧れている私にとって、このお誘いは嬉し過ぎる。××ちゃんには悪いが、ここは彼を優先させてもらおう。
「うん、大丈夫」
『お前の家に迎えに行くから支度して待っていろ。そうだな……一時間後でどうだ?』
「分かった」
 私は電話を切ると、××ちゃんに断って急いで廊下に出た。隣の尽の部屋のドアを強く叩いて開ける。尽はベッドの上に寝そべって、学校の女の子から貰ったらしい沢山の年賀状を見ながらニタニタしていた。
「何だよ、姉ちゃん」
「あんた、××ちゃんのこと、気になってるよね?」
「はぁ?」
「××ちゃん、去年の夏に会った時より随分可愛くなったじゃない。そろそろチェックしておかないと、って尽も思ってるでしょう?」
「う……」
 尽は首を振るが、私にはそれが嘘だと分かっている。遠回しに突くのは止めて、私はズバッと本題に入った。
「実はね、尽に××ちゃんの相手をしてほしいのよ。さっき、葉月君から電話が掛かってきて、初詣に一緒に行こうって誘われたの」
「へぇ、せっかくの初詣に姉ちゃんを誘うだなんて、葉月も物好きだなー。
 痛ぇ!」
 私は足を上げて、ベッドの尽を軽く蹴る。
「……そういうことをやってると、葉月に嫌われるぞ」
「あら、葉月君の前ではお淑やかなのよ、私。尽が女の子の前で猫を被っているように、私も使い分けが上手なの」
「それが人に物を頼む態度かよ」
「尽がつまらないことを言うからじゃない。
 ね? お願いー。葉月君からのお誘いをもう受けちゃったのよ。××ちゃんを放ってそのまま出掛けちゃってもいいんだけど、それだとあの子が可哀想でしょう?」
「ま、まぁ……そういう訳なら仕方ないな」
 尽は渋々と、でも嬉しそうに返事をした。私は尽を連れて自室へ戻り、××ちゃんに事情を説明する。最初、彼女はつまらなそうな顔をしたが、尽が相手をしてくれると分かるとホッとしたように笑った。
「でも、まだ時間あるよね? 私、お姉ちゃんと一緒に遊ぼうと思って羽子板を持ってきたの」
 ××ちゃんは甘えるように私に言った。
「羽子板? 随分懐かしいものを持ってきたね」
「学校の図工で作ったの。ちゃんとお姉ちゃんの分の板と、羽根も持ってきたよ」
「じゃあ、外で遊ぼうか?」
 私と××ちゃんは尽を置いて、家の外へ出た。羽根つきの道具は車の中に詰んできたという。叔父に鍵を開けてもらって取り出した後、私達は家の前の道路で遊ぶことになった。ここは細い路地で、車の通りも少ない。
 自作というだけあって、最近テレビで流行っているアニメのキャラクターが描かれた羽子板である。私用にと出されたものは、ただ色が塗ってあるだけのいかにも市販品といった板だ。
 準備運動と称して手首を動かした後、私達は早速打ち合った。カコーンと、乾いた独特の音が空に響く。
 慣れていない最初はどちらも落としてばかりだったが、暫く経つとラリーが続くようになってきた。一旦休憩したところで、どちらともなく試合を提案する。
「やっぱり、罰がないとつまらないよ」
「本来は顔に墨を塗るものだけど、この格好じゃあね……」
 私は自分の着物を見つめた。もうすぐ葉月君が迎えに来てくれるというのに、顔に墨を塗るだなんてとんでもない。第一、振袖に染みができたら取り返しがつかないのだ。
「そうだ! 私、いいもの持ってる! ちょっと待ってて」
 ××ちゃんは道路の端に羽子板と羽根を置くと、小走りで家の中へ戻っていった。
 数分後、手で何かを持ちながら戻ってくる。
「はい、これ!」
 彼女が持ってきたのは、小さなシールが沢山付いた数枚のシートだった。星や花、動物……と柄は様々で、中にはピカピカに光る加工が施されたものもある。
「お姉ちゃん、失敗したらこれを顔に貼ろうよ!」
「でも勿体無くない?」
「ううん、平気。家に沢山あるから。それにこれ、予備でいつも持っている分なの」
 それではと、私達はシールを使うことになった。家の郵便受け上にシートを置き、失敗したらそれを顔に貼られる。
 先攻は××ちゃんだ。綺麗な放物線を描きながら羽根が飛んでくる。私は打ち返した。××ちゃんも返してくる。しかし、予想していた以上に速度が早く、あっと思った時には私の顔の横を抜けてしまった。
「あぁ……」
「わぁい! シール第一号だ!」
 私は××ちゃんの手によって、ピンクのハート型のシールを頬に貼られた。墨と違って、これなら貼られても悔しくない。でも、次は勝とうと意気込みが湧いた。
 次は私からである。年下だからといって、手加減するつもりはない。


 それからどれぐらい時間が経っただろうか。私と××ちゃんの羽根つきの腕はほぼ同じで、二人とも顔だけでは足りずに手の甲にまでシールがべたべた貼られていた。止め時を考えられないほど私達は熱中し、羽根つきを心底楽しんでいたのである。
 ××ちゃんが打った羽根が私に向かって飛んできた。さぁ打つぞと身構えた時、××ちゃんの背後の角からいきなり葉月君が現れる。
「あ!」
 よそ見をした私は、見事に打ち損じてしまう。何も知らない××ちゃんは私の間抜けなミスに嬌声を上げたが、私の方はそれどころではない。
 葉月君はシールだらけの私を見て一瞬凍り付いた後、口元に左手を当ててククッと笑った。
「お前、何やってるんだ?」
 その声に、××ちゃんは驚いて背後を見た。私は、顔に貼られたシールを慌てて取りながらその場で俯く。
「……見ての通りよ」
「振袖で羽根つきだなんて、随分風流なことをやるんだな」
 私は××ちゃんを呼び、顔に残っているシールを急いで取ってもらった。その間に、手の甲に貼られた分をもう片方の手で剥がす。終わると、私が××ちゃんの顔からシールを取った。
 ××ちゃんが小さな声で言う。
「あの人とこれから初詣に行くの?」
「うん」
「あれって、月刊△△によく載っている高校生モデルの葉月珪でしょ? もしかしてお姉ちゃんのカレシ?」
 そう呼べるようになりたいものだと苦笑いをしながら、私も小声で否定する。
「まさか。友達だよー」
 ××ちゃんの分のシールも剥がし終わったところで、私はようやく葉月君と向かい合った。
「バタバタしていてごめんね。もうそんな時間なんだ? すっかり羽根つきに熱中していたから、全然分からなかったよ」
「初詣、俺と行けるのか?」
 私達が羽根つきを楽しんでいたので、それを中断させることに葉月君は躊躇したらしい。でも、それでは本末転倒だ。私は袖からハンカチを出して額に浮かんだ汗を拭き、笑いながら返事をした。
「勿論、その為の時間潰しで遊んでいたんだもの。
 お財布とか、荷物を取ってくるからもう少し待っていて。すぐに戻ってくるから」
「あぁ」
 私は羽子板と羽根を持ち、××ちゃんを連れて一旦家へ帰った。二階の自室へ上がって財布入りの鞄を持った後、隣の尽に声を掛け、××ちゃんのことを再び頼んでから外へ行く。
 葉月君は門のところでじっと待っていた。
「本当にお待たせ」
「行くか?」
「うん」
 神社までの道を、私と葉月君はゆっくりと歩いた。葉月君が途中で、私の振袖姿を褒めてくれる。さっきの羽根つきで、せっかくお淑やかに誤魔化せると思っていた部分はメッキが剥がれてしまったが、見かけだけでも普段と違う私を出せたのだろう。道にあった階段などで、葉月君が先に数段下りて手を差し伸べてくれ、私が下りるのを手伝ってくれたりと、着慣れない振袖はなかなか大変だったが苦労が報われる場面があった。
 その神社に着くと、かなりの人で賑わってきた。はぐれないようにと葉月君の方から手を繋いできたので、私もそれに応じる。予想していなかった嬉しいハプニングだ。新年早々ツイていると、私は内心で大喜びする。
 やっとのことで、賽銭箱の前に出た。お財布を出し、賽銭用の小銭を用意する。これまでは、”ご縁がありますように”で五円玉、”充分にご縁がありますように”で十五円、”始終ご縁がありますように”で四十五円……とみみっちい金額ばかりだったが、今日は別だ。偶然に多々感謝し、「神様有難う」と唱えながら百円を入れる。そして、葉月君ともっともっともーっっっと親しくなれますようにと何度も強くお願いした。
 お参りが終わって私が横を見ると、葉月君はもうとっくに終わっていた。何故か苦笑されながら、彼に手を引かれて人の少ない場所まで出る。
 神社脇にあるお茶屋の席が空いていたので、そこで休憩することになった。本当に人混みが凄いので、腰掛けられるだけでかなり楽になる。葉月君が奢ってくれた甘酒を飲みながら、私はぼーっと人の流れを眺めていた。
「さっきは長いお願いだったな。それにお前、随分難しい顔してた」
「あはは、そんなに長かった?」
「あぁ。俺の三倍はしてたと思う」
「そんなに? お願いごとはたった一つなんだけど、どうしても叶えてほしかったから。念入りにやってきたの」
「……本当に叶うといいな、それ」
 私は大きく頷いた。このツキが今年も来年もその先もずっと続いてくれれば、本当に幸せである。
 ふと、葉月君が私を見つめているのに気付いた。何だろう……と思うが、視線を外せない。戸惑いながら、彼を見返す。
 良い雰囲気?
 でもこんな場所で急にどうしたのか。色気があるようなことを言った覚えも無いし、周囲には沢山の人がいる。私は気が動転しながらも彼の視線を受け続けていたけれど、それが私の目よりもやや上に向けられていることに気付いた。
「あれ?」
 すると、葉月君はいきなりクククと小声で笑いだした。
「ちょ、ちょっと……何?」
「お前、自分で気付いてないのか?」
「はぁ? 何を?」
 葉月君の手が、いきなり私の額に伸ばされた。前髪をサッと退かされ、彼の冷たい爪の感触が肌に直に当たる。しかも私のすぐ目の前に葉月君の顔があるので、もう心臓は緊張でばくばく高鳴っていた。
 葉月君の爪が私の額を擦った。ペリ……という微かな音がして、何かが剥がされる。
「ん?」
 剥がされる、と自覚したところで、ようやく私は一つの推測に至った。もしかしてもしかしてもしかして……と思っていると、葉月君がニヤッとしながら指に乗せた何かを私に見せる。
 それは勿論──さっき剥がし忘れのシールだ。キラキラとラメ入りの小さな星のシールが、葉月君に差し出されていた。私はそれを受け取る。
「これ、付いてたぞ」
「……う」
 ゴミ箱が近くになかったので、後で捨てようと私はシールをお財布の中にとりあえずしまう。
「俺、お前が賽銭箱の前でうんうん祈っている時に気付いた。でも、そういうメイクなのかと思って、今まで放っておいたんだけど……やっぱり不自然なように思えたんだ」
「──うん、剥がし忘れだと思う」
「前髪に隠れていたからな。あの小さい子には気付けなかったんだろう」
 実はこれまで、私は鏡で自分の顔をちゃんと確認していなかった。手で触った部分にはシールが残っていなかったし、携帯用の小さなミラーで軽く眺めただけで済ませてしまったのだ。いくら見え難い額にあったからとはいえ、恥ずかしいにも程がある。しかも、よりによって大好きな人にそれを指摘されたのだ。私の顔は真っ赤になり、とても葉月君を見られなかった。
 しかし葉月君の方は、手元の甘酒を飲みながらその後も普通に話しかけてくる。他愛のない内容に、私の心も段々解れていった。もしかしたらこれが彼なりの気遣いなのかもしれないけれど、とにかくそれは有難くて、甘酒を完全に飲み干す頃には私はもう復活していた。


 それから境内に戻ってお神籤を引いたり、お守りを購入してから帰った。葉月君は、何と帰りも私を自宅まで送ってくれたのだ。道すがら、残りの冬休み中に公園内のスケート場へ行くことまで約束する。
 剥がし忘れのシール、というとんでもないハプニングはあったものの、今日の私は葉月君と行動できてとても幸せだった。帰ってから隣部屋の尽に尋ねると、彼は彼なりに××ちゃんと楽しく過ごせたようで、「姉ちゃんがいなくなってくれたお陰だ」と逆に感謝までされてしまう。普段はませた弟に馬鹿にされっぱなしなので、何だかくすぐったい気分だった。
 夜、寝る前になって、お財布に入れっぱなしだったシールの存在をふと思い出した私は、慌ててそれを取り出した。捨てようと思ってゴミ箱に手を伸ばしかけたが、考え直して止める。机の上に置いておいた新しい手帳を開き、一月一日のカレンダーの欄にその星のシールを張った。これは、今日一日に起きた私の幸せを最初から知っている記念のシールだ。手帳の上でも、この日だけが特別なように思えて、とても良い感じだった。
 明日になったら××ちゃんに急いで連絡を取って、このシールをどこで入手したかを聞かなければと私は思った。せっかくなので、葉月君と二人だけでどこかへ出掛けたら、この手帳のカレンダーに同じ星のシールを張ろうと決めたのである。そして予定では、数日後のスケートデートで早くも実行するのだ。
 それを予想するだけで、今日のように意外性に満ちた幸せな時間を彼と過ごせそうな気になってくるから不思議である。













何となく思い付いて何となく書いた話です。
量もそう多くなかったので、早く仕上げられました。
振袖で羽根つきするのは相当辛いと思いますー。
着崩れるし、髪の毛も乱れちゃうしね。
(20020727 UP)