葉月珪2002BD企画SS
【“トースト”】



 十月に入ったとある日の平日の放課後、私は女友達からのお茶のお誘いを断って、はばたき駅前にやってきた。目当ては、沢山の商品を扱っている雑貨屋である。私はお財布の中身を確認して、店の自動ドアを抜けた。
「いらっしゃいませ」
 店員の、やや演技がかった挨拶に出迎えられる。私は入口付近に立っていた女性店員にぺこりと頭を下げると、壁際の棚から見て回ることにした。
 十月というのは、今の私にとって大事な月だった。私が大好きで憧れている葉月君のお誕生日が中旬にあるのだ。
 今日は葉月君に渡す為のプレゼントを選ぶ為に、わざわざここまで来たのである。
 充分に吟味をしながら商品を見ていると、私は一つ気になるものと出会った。西洋骨董を思わせる、品の良い形のガラスの一輪挿しだ。花を飾らなくても、ただ部屋に置いておくだけで素敵だと感じられる。
「よし」
 その後も店内を隅々まで見たが、これ以上に心を動かされるものはなかった。私にしてはかなりの高額で、最初に考えていた予算も軽くオーバーしていたが、買えない訳ではない。本当は私自身の分も買いたいところだけれど、流石にそれは無理なので、今回は葉月君に渡す分だけを買い求めた。レジで代金を支払い、店員にお願いして綺麗な包装をしてもらう。
 実は、葉月君の誕生日当日までに良いものを見つけられなかったらどうしようと心配していたので、無事に目的を果たせた私は安堵していた。しかも予想していた以上に満足できるものを選べたのである。店員の「有難うございました」という挨拶に頷きながら、私は笑顔で店を出た。
 すっかり気分がよくなった私は、どこか喫茶店でのんびりお茶でもしようかと、軽くスキップをしながら通りを歩いた。
 するとある白い建物の出窓に、一匹の可愛らしい子猫がこちらを見ているのに気が付いた。
「あ、猫!」
 私は思わず駆け寄った。
 よく見るとそれは猫ではなく、よくできたぬいぐるみだった。しかし、これが小さくて愛らしいのに変わりはない。
 出窓のすぐ傍には木製の看板が掛けられていた。どうやらここもお店らしい。外観が一昔前の西洋館だったこともあり、私はついでに入ってみることにした。
 店内は、ハーブを使った製品で溢れていた。リースやポプリや石鹸といった生活雑貨から紅茶やお菓子などの口に入るものまで、幅広く扱っているようだ。
 その中で、出窓に置かれていたものと同じ形のぬいぐるみが、壁際の棚に沢山飾られていた。毛の色や柄違いが沢山あり、どれも私の心をくすぐる。
 私は、そのうちの一つを手に取った。掌にちょこんと乗るそれは、実際にこうして間近で見てみると、たまらなく愛しく感じられた。値札を見ると、千円というお手軽価格が表示されている。葉月君が猫好きなのは無論知っているので、私はこれも彼へのプレゼントに加えることにした。安価なので、今度は私の分もしっかり買う。葉月君のは明るい茶色のトラで、私のは斑猫だ。
「今日は良い買い物ができたな」
 私は心が充実感で満たされるのを感じた。そして葉月君が喜ぶ顔を想像しつつ、早くその日がこないかと指折り数えて待つ。



 いよいよ葉月君の誕生日がやって来た。
 前夜、緊張でロクに眠れなかった私は、朝からそわそわしてしまった。食事の時など、ダイニングの隣に座った尽にからかわれたほどだ。とにかく、何があっても絶対にプレゼントを忘れてはいけないと、私は鞄の中身を何度も何度も確認して、家を出た。
 うまくすれば、登校時に葉月君と会えるかと思っていたが、昇降口にある彼の靴箱を見ると、私の方が早く着いたらしい。一旦、教室へ行って余計な荷物を置いた後、大事なプレゼント入りの紙袋だけを持って、私は葉月君のクラスの前の廊下で彼の登場をひたすら待った。
 約十分後。眠いのか、ぼんやりしながらこちらへ向かって葉月君が歩いてくるのが見えた。私は、ドキドキと高鳴る胸を押さえながら、彼に走り寄る。
「おはよう、葉月君!」
「ん? お前か……おはよう」
 何だか、勢いの良い私の挨拶が空回りしている。しかしここからが本番なので、めげずに次を言った。
「今日、お誕生日だよね」
「誰の?」
 おいおいと、私はツッコミたくなった。顔が引き攣りそうになるのを必死で堪えて、私は笑顔を無理に保つ。
「忘れちゃったの? 葉月君の誕生日に決まっているじゃない。十月十六日、今日だよ!」
「そうだっけ?」
「と、とにかく、これ、プレゼント。私なりに一生懸命に選んだから、貰ってくれると嬉しいな」
「あぁ、貰う。有難う」
 葉月君は私が差し出した紙袋を受け取り、早速に包みを開けてくれた。まずは大きな方──ガラスの一輪挿しである
「あ……これ、いいな。俺、こういうのが好きなんだ」
 葉月君は箱から花瓶を出し、窓から差し込む日光に照らして見つめている。その顔は何とも言えない優しい微笑だったので、私も嬉しくなった。
 そして葉月君は、もう一つの小さな包みを開けた。
 中から現れた子猫のぬいぐるみに、葉月君は目を細める。
「可愛いな」
「でしょう? さっきの一輪挿しを買った後に、街を歩いていて偶然に見つけたの。私も斑の猫を買っちゃった」
「お前、意外とセンスが良いんだな」
「『意外』っていうのは余計じゃない?」
「そうだな」
 葉月君は苦笑している。私も、この程度なら軽口を聞いても平気なので笑い返した。
 最後にもう一度、葉月君は猫の頭を右手の人差し指で撫でると、プレゼントを二つとも元に戻した。
「サンキュー」
 この時の葉月君の笑顔は、私がお礼を言いたいぐらい極上だった。



 翌朝。
 私が登校すると、昨日とは逆に葉月君が教室の前に佇んでいた。
「おはよう」
「おはよう……。
 葉月君、どうしたの? もしかして私を待っていてくれたの?」
「あぁ」
 葉月君は頷くと、にっこり笑った。
「昨日、家に帰ってから貰ったものを部屋に飾った。
 トーストは、枕元に置いて寝たんだ。何だか本当に猫を飼っている気分になれて、嬉しかった」
「“トースト”?」
 話からすると、これはどうやら私が葉月君にあげた子猫のぬいぐるみらしいが、名前にしては少しおかしい。葉月君のネーミングセンスは、人と違っているようだ。
 私の聞き返しに、葉月君が首を傾げた。
「ぬいぐるみの名前なんだけど……」
「葉月君がつけたの?
 あ! 猫の毛が明るい茶色だから、トーストを想像したんだ? もしかして、名付けた時はお腹が空いていたんじゃない? または、パンを食べている最中だったとか」
「そうじゃない。最初からそういう名前らしいんだ」
「ええ?」
 私は眉を寄せた。葉月君が嘘を吐いているようには思えない。しかし、私も同じものを買ったのだが、名前を表すものなんて何も無かったはずである。
 結局、ここで言い合っていても仕方が無いと結論に達したので、放課後に私が葉月君の家に寄ることになった。私が内心、ラッキーだと喜んだのは無論だった。
 お茶もそこそこに、葉月君がベッドから例のぬいぐるみを持ってくる。
 葉月君は、ぬいぐるみの尻に付いているタグを私に見せた。
「ほら、ここに“Toast”ってある。これ、ぬいぐるみの名前だろう?」
 私はタグに目を遣った。白地に灰色で、確かにそう印刷されている。だが……。
「ねぇ、葉月君。これって、ぬいぐるみを作った会社の名前だと思うよ」
「そうなのか?」
 葉月君はそれが猫の名前であると微塵も疑わなかったようで、ひどく驚いている。私は、何度もタグを見た。そこには“Toast Co., Inc Made in Japan”と印字されているのだ。一際“Toast”の文字が太く大きくあるので、パッと見るとそこだけ強い印象を受けるとは私にも思えた。しかしこれを個々の名前だと勘違いするとは。やはり葉月君は一風変わっている。
「俺、ぬいぐるみなんて持たないから。これを見て、そういうものなんだと勝手に考えていた」
「限定品なんかは、一体一体に名前があったりシリアルナンバーが打たれていて、それがタグに書かれていたりするんだよ。でも、これはそんな高級品じゃないから。私の家にある斑猫も、同じように“Toast”ってあるはずだもの。
 だけど、もう名付けちゃったんだからそれで良いんじゃないかなぁ? 色も茶色でそれっぽいし、響きも可愛いよ」
「そうだな」
 葉月君は己の勘違いが可笑しいらしくて、タグを何度も見返しながらクククと笑っている。この様子がとても微笑ましくて、見ている私も笑顔になった。
 疑問が解決したところで、私は葉月君の部屋をじっくりと眺めた。猫のトーストは彼のベッドの枕元に再び戻され、私のもう一つのプレゼントである一輪挿しは、テレビの横に置かれて薔薇が一本飾られている。
「あぁ……せっかくだから、昨日、花屋に寄って薔薇を買ってみたんだ」
 私の視線に気付いたらしい葉月君が、静かに言った。
 こうやって贈り物が実際に使われているのを見ると、心の底から喜びが湧いてくる。彼にプレゼントできて良かったと、私はしみじみ思った。
「昨日は本当に有難うな。俺、こうやって欲しいものを貰えたなんて初めてだったから、凄く嬉しかった」
「うん。葉月君に喜んでもらえて、私も幸せだよ」
 私は心を込めて返事をした。葉月君が照れくさそうに笑う。
 それにしても、ぬいぐるみの名前の一件は愉快である。私は、家にある斑猫の名前も”トースト”にしようとこっそり決めていた。同じタグが付いているはずなので、筋も通るだろう。そして葉月君を真似して、枕元に置いて眠るのだ。
 その後、私は暗くなるまで葉月君の部屋で遊び、帰りは自宅まで送ってもらった。すぐに帰ろうとする彼を引き止め、私は部屋に戻って斑猫のぬいぐるみを取ってきた。こちらは初の対面だが、葉月君にあげたトーストと同様“Toast”と書かれたぬいぐるみのタグを見て、彼は苦笑する。
「本当だ。じゃあ、こっちは……トースト二号だな」
「うん。せっかくだから、私もこのぬいぐるみの名前をトーストにしようと思っていたの」
 私は葉月君と顔を見合わせて、クククと笑った。トーストとトースト二号、変な名前であるが、私は充分に楽しかったし、幸せだった。
「じゃ、またな」
「葉月君も気を付けて」
 葉月君は右手を軽く上げて私に挨拶すると、そのままゆっくりと去っていった。
 妙な誤解はあったものの、私のプレゼントは無事に成功したと言える。達成感に「やった!」と叫びたくなる気持ちを抱えながら、また来年も頑張ろうと私は奮起したのだった。














お腹を押すと
キューッと鳴く

祝!お誕生日!!おめでとうな気持ちで書きました。
これも実話をベースにしています。友人の話です。
白いアザラシのぬいぐるみのタグに「TAKENOKO」とあったので、
友人の妹さんがこれを名前だと勘違いしたそうです。
実際、ぬいぐるみの形が円錐系で本当にタケノコっぽいのですよ。
私も気に入っていたので、同じものを偶然見つけた時に買い求め、
←「タケノコ二号」と名付けました。

(20021016 UP)