【望み】



 昼休み、食事を取り終えた私が図書館に向かって歩いていると、珠美ちゃんがこちらに走り寄ってきた。
「あ、珠美ちゃん」
「良かった、ずっと探していたの」
「私を?」
「うん。実は、放課後にちょっと付き合ってほしいことがあって」
 今日の放課後は予定が無いので、私は珠美ちゃんから詳しい用件を聞く為に廊下の端へ移動した。
「あのね、私と一緒にはばたき神社に一緒に行ってほしいの」
 はばたき神社は市内中央にある。昔からこの場所を守る土地神さまを祀っているらしく、大きくて立派な神社だ。ここに引っ越してからは、私のお正月の初詣ははばたき神社で済ませている。
「いいけど、何をお願いするの? バスケ部の試合って近かったっけ?」
「ううん、そうじゃないの」
 珠美ちゃんは顔を真っ赤にすると、俯いてしまった。
「?」
「今、女の子達の噂になっているの。はばたき神社の縁結びのお守りを買うと、願いが叶うって」
「あぁ、そういえば聞いたことがあるよ」
 クラスの誰かが煩く騒いでいたのを、私も耳にしたことがある。その時は気にも留めなかったが、学校中の女子の噂になっているのか。
「凄くご利益があるんだって。それで私──」
「バスケ部の鈴鹿君、だね」
「えっ? う、うん……そうなの……」
 珠美ちゃんがずっと鈴鹿君に憧れているのを、私はよく知っている。バスケ部のエースプレイヤーとマネージャーという二人の関係は、全然関係のない私から見ても良い感じだ。あとは何かきっかけさえあれば、すぐに親展すると思えるのだが……。
「そうか。いよいよ珠美ちゃんも本気になったんだ」
「そんな大袈裟なものじゃないけど。でももし本当にご利益があるのなら、買ってみてもいいかなって思ったの」
「うんうん。
 じゃあ、放課後に学校の正門前でいい? HRが長引いてあまり遅くなるようだったら、お互いの携帯電話にメールを入れるってことでどう?」
「分かった。宜しくね」
 珠美ちゃんはそう言うと、にっこり笑って去っていく。
 彼女がわざわざ私を誘ったのは、一人で買いに行く勇気が無かったからか。まぁ、本当に暇であるし、ついでだから私も同じものを買ってみようと思っている。
 そう、現在の私が片思い中である姫条君へ、この秘めた思いが少しでも届くように。



 その放課後。
 ほぼ同じ時間に正門に着いた私と珠美ちゃんは、予定通りにはばたき神社へやってきた。せっかく神社へ行くのにただお守りを買うだけではと思い、私達は本殿にお参りをする。参道を通り、手を洗って、私達はそれぞれのお願いごとを心の中で口にした。お賽銭も、僅かだが多めにしておいた。
 それから、いよいよ目的のお守りを買いに行く。ご利益があると噂の縁結びのお守りは、一番目立つ場所に見本があった。
 珠美ちゃんが早速それを買った。彼女は他にも絵馬を求め、黒の油性ペンを借りてお願いごとを書く。ちらっと覗き見てみれば、バスケ部が大会で良い成績を収められるようにとあった。流石、マネージャーだ。
 私もお財布を出し、その縁結びのお守りを買うことにした。巫女さんに、見本を指しながら言う。
「はい、こちらですね。六百円に──あら?」
「?」
 巫女さんは、外にいる私達から死角になっている手前の場所を何やらごそごそと探している。暫くそうした後、申し訳無さそうに口を開いた。
「すみません。こちらのお守りは、お連れ様の分で売切れてしまいました」
「ええっ?」
 つい、私は大声を出してしまった。巫女さんが再び頭を下げる。
「本当にすみません。何分、人気なもので……。半月ほど前から、はばたき学園の生徒さん達がよく買いにいらっしゃるんですよ。
 おそらく来週末までには、再びお分けできると思います」
「──」
「ざ、残念だね。私の分をあげようか?」
 珠美ちゃんは、心配そうに私を見ている。
 私は慌てて首を振った。
「ううん、平気。気にしないで。
 それに私は、珠美ちゃんの付き合いでここに来たんだもの。珠美ちゃんが買えて良かったよ」
「でも……」
「本当に大丈夫だから、ね?」
 私は無理をして笑った。珠美ちゃんは眉を寄せながら私を暫く見ていたが、再び絵馬へ向かう。
 ついていない。
 実は、こう思っていた。いくら付き添いだからといえ、せっかく来たのに残念である。ただ、巫女さんの言うことを聞いて来週末に再びここに来るかとなると、私はきっとそうしないだろう。何故なら、私が好きなのがあの姫条君だからだ。
 はばたき神社のこの縁結びは、二つで一対となっている。つまり、自分と相手が片方ずつ持つのだ。
 姫条君はルックスとノリの良さから、女の子の間でも高い人気を誇っている。このお守りのご利益が学校で噂になっている以上、他の女子が彼にお守りの片方をあげていてもおかしくはない。また、姫条君は流行に目敏いから、このお守りの意味をよく知っている可能性も高いのだ。
 考えれば考えるほど、私がこのお守りを買うのが意味のないことに思えてきた。きっとここで買えなかったのは、それなりに意味あることなのだと私は自分に言い聞かせる。だが自分で買わないと選択するならともかく、物が無くて買えなかったとなると、途端にこれまで以上に欲しくなるから不思議だ。珠美ちゃんにはああ言ったが、内心では悔しくて仕方がなかった。
 しかし珠美ちゃんの手前、それを顔に出す訳にはいかない。私は精一杯平気な素振りをした。
 それから私達は神社の敷地内に設置されているベンチに腰掛け、持っていたお菓子をつまみながら楽しく喋った。生徒に厳しい氷室先生に見つかったら怒鳴られそうな行為だが、こういう呑気な時間を過ごせるのが学生の醍醐味である。
 ふと会話が途切れた時だ。突然、横の珠美ちゃんが「あれ?」と口を開いた。
「どうしたの?」
「ねぇ、あそこで鳩に餌をやっている人、×組の姫条君だよね?」
 珠美ちゃんが指している場所に目を向けると、はば学制服を着た長身の男子が、群がる鳩に餌を蒔いている。間違いない、姫条君だ。
「本当だ!」
 私はびっくりした。まさか彼とこんなところで会えるだなんて、思ってもみなかったからだ。学校とはばたき神社はそれなりに距離がある。しかも確か姫条君の家は、学校を起点にしてこの神社と反対方向にあるはずだ。ただ、この近くにはお店や市の施設が色々とあるので、彼がそのついでに寄った可能性はある。
 せっかく会えたのだ。私は話しかけることにし、ベンチから立ち上がった。
「姫条君のところに行くの?」
「うん」
「ごめん。私、もうそろそろ家に戻らないといけないんだ。先に帰ってもいいかな?」
「あ、うん。じゃあ、気を付けてね」
「また明日」
 私と珠美ちゃんは互いに手を振り、その場で別れた。
 そして私は足音を立てないよう、静かに姫条君に近付く。しかし彼よりも周囲の鳩に見つかってしまい、大きな羽ばたき音が境内に響いた。
 姫条君がはっと顔を上げる。
「お! 何や、自分か。奇遇やなぁ」
「うん、姫条君も」
 姫条君は、鳩の餌が入った袋を私に差し出した。私は遠慮なくそこに手を突っ込み、餌を握って辺りに蒔く。たちまち、逃げたばかりの鳩が戻ってきた。
「もしかして自分、例の噂のブツを買いにきたんか?」
「例の噂?」
「ほら、片思い中の相手に渡したら思いが通じるっつう縁結びのお守り。学校中で物凄く噂になってるやん!」
「あー……うん、まぁ」
「自分、誰にやるつもりで買いにきたん? なぁ、俺だけにこっそり教えてくれへん?」
 とはいえ、私が好きなのは姫条君なので、その当人である彼に言えるはずがない。私は鳩に餌をやりながら苦笑いをした。
「な、内緒。それに私、珠美ちゃんの付き添いで来たから」
「珠美ちゃん?
 ──あぁ、バスケ部のマネージャーか。そういや自分、あの子といつもよう遊んでるもんなぁ」
「うん。珠美ちゃんに誘われて、一緒に来たのよ。でも、彼女の分でそのお守りは売切れてしまって、私は買えなかったんだ。
 ところで姫条君はこんなところでどうしたの?」
「ん? お、俺はその……き、金運アップのお守りを買いにきてん。
 ほら」
 姫条君はポケットから財布を出し、小銭入れの部分を見せてくれた。その中には、薄っぺらくて小さな金色の蛙が一匹いた。これが金運アップに繋がるらしい。お金が“返る”に引っ掛けているのか。
「お金、貯めたいの?」
「無いよりはあった方がええやん? 金は生活の基本やで」
「まぁね」
 話が一区切りした時、姫条君が持っていた鳩の餌が丁度無くなった。立ちっぱなしも何なので、私達は先程のベンチに移動し、仲良く腰掛けた。
 それから、私達はその場で他愛のない話をし続けた。学校のこと、バイトのこと、進路のこと、趣味生活のこと……。
 その間、神社にははばたき学園の女子生徒達が何人も来ていた。皆、一様に例のお守りを買い求めようとし、巫女さんの「売切れ」発言にショックを受けている。これを眺めている私も同じ立場なのだが、横に大好きな姫条君がいるせいか、何故か彼女らに同情めいた感情を抱いた。
「なぁ」
「ん?」
 姫条君の呼び掛けに、私は顔を上げた。
「……自分、確かカレシはいーひんやんなぁ。
 あれ買ったら、すぐに告白しに行くつもりやったん?」
「え?」
 私はドキッとした。珠美ちゃんのついで、と私は自分をも誤魔化していたが、買えなくて落ち込んでいるのは真実だ。ただ、もし買えたとしても、この姫条君に片方を渡しに行ったかというと疑問が出る。それは、先程思ったように姫条君が女子の間で非常に人気者だからで、おそらく私はお守りを買えただけで満足し、渡すことなど一生あり得なかっただろう。
 私は首を振って否定した。
「私、意気地無しだから。それに多分、その人は他の女の子から貰っていると思うし」
「それは辛いなぁ」
 姫条君の優しい同情に、私は努めて明るく笑った。目の前にいる本人に内緒で愚痴を言うだなんて、随分奇妙な状況だ。
「あはは。でも平気。そういうのをひっくるめて、全部好きだから。
 ──姫条君はどう? これだけ女子の間で噂になっているんだから、男子でも話が回っているんでしょう?」
「え? あぁ、うん、まぁな」
 姫条君は何故か狼狽えている。私は、一番気になっていたことを思い切って言ってみた。
「あのさ、奈津実……ちゃんから貰った?」
 しかし姫条君は物凄い勢いで首を振る。
「なんでそいつの名前が出てくるん? 自分、変なこと言われたんか?」
「ち、違うよ。奈津実ちゃんは流行に敏感だし、姫条君とも仲が良いから、もしかしたらって思ったの」
「考え過ぎやで。確かにあいつとはよう喋るけど、そんな色気のあるもんちゃうし。
 あ! まさか自分、今まで俺達のことをそういう目で見てたんか?」
「ううん。そんなつもりは無いんだけど」
「せやけど、俺の知らんとこでそんな噂が立ってんのかな。聞いたらすぐ嘘やって分かるようなしょうもない話やったらほっとくけど、こういうのはホンマ困る。色眼鏡で見られるなんてたまらんわ」
 姫条君は怒っているようなやや強い口調だったけれど、聞いている私はというと実はホッと胸を撫で下ろしていた。隣のクラスの奈津実ちゃんが私と同じように姫条君を好きで、かなりアプローチをかけていると知っていたからである。気分を害している姫条君には失礼だが、安心した私は笑顔を浮かべそうになって慌てる羽目になった。
 暫く、妙な間が続いた。
 話すことはまだまだ沢山あるのだが、黙っている姫条君に話しかけ辛いので、私もつられて口を閉じる。
 しかし、こうしているうちに時間はどんどん過ぎていく。氷室先生が出した数学の宿題がたっぷりあることだし、私はそろそろ帰ることにした。
「姫条君。私、今日はこれで帰るね」
「あ、あぁ……。家まで送ってこうか?」
「いい、いい。まだ明るいから、一人で帰れるよ」
「そうか」
 私は姫条君に挨拶をした。
 途端に彼は顔をしかめ、うーっと低い唸り声を上げる。
「姫条君?」
「──俺、このままバックレるつもりやったけど」
 と言うと、姫条君は鞄の中から白い紙袋をごそごそと出した。表には、朱色ではばたき神社の名前がある。
 私は受け取って、その袋の中身を見た。
「これ……?」
 そこにあったのは、私が買えなかった例の縁結びのお守りである。勿論、二対のままだ。
「欲しかったんやろ? それ、自分にやるわ。俺も噂聞いて一応買うてみたけど、何か必要ないみたいやし」
「え──」
 私は、掌の上にあるお守りを見つめながら呆然とした。姫条君がこれを自ら買ったということは、彼に好きな人がいるはずである。
 何だか、急に身体の力が抜けた気がした。私は慎重にお守りを紙袋に戻し、姫条君に返す。
「……やっぱり私もいいや」
「何で? 俺に遠慮せんでもええで」
「私も姫条君と同じみたい。せっかく貰っても、私には生かせそうにないから」
 姫条君から片方だけ貰えたらこの上ない幸せだったのに、と私は口にできない言葉を心の中で付け加える。
「何や。俺ら、よう似てんなぁ」
「あはは」
「──でもこれ、どうしようかな。せっかく買うたのに無駄にすんの勿体無いし、かといってその辺の知らん奴に譲るっていう嫌やし
 な、なぁ、自分。変な意味で言うてんのとちゃうけど、これ、俺と半分こにせーへん?」
「え?」
 いつの間にか姫条君はお守りを出しており、その片方を私に差し出している。訳が分からない私は、戸惑いながら首を傾げた。
「やっぱりアカンか? 唐突やったかなぁ。でも買うた時にせっかく自分と会えて、こっちとしてはめっちゃ好都合やったんだけど」
「『好都合』?」
「あ、いやぁ……それは……その……」
 姫条君はしどろもどろになって狼狽えている。流石にこうなると、鈍い私でも察しがつく。
「くれるなら頂戴」
「ホンマか?」
「うん、欲しい。
 そういうことでしょう?」
「お、おう。
 そんなら、どうぞ。はい、俺らは仲良しー仲良しー」
 姫条君はおどけながら私の掌の上にお守りを乗せる。売り切れで買えなかった、買ってもおそらく姫条君には渡せなかっただろうお守りを、今の私は持っているのだ。しかも片方は──その姫条君の手の中にある。
 偶然?
 いや、必然のはずだ。姫条君は「変な意味じゃない」と言ったけれど、こんなものを私にくれるということは……そう思っていいはずだ。奈津実ちゃんには自意識過剰と笑われるかもしれないが、せめて今この瞬間だけはそうだと信じたい。
「絶対に失くすなよ。俺も、そんなんないように気を付けるしな」
「うん、大事にする。有難う」
 私は貰ったお守りをぎゅっと握ると、胸の辺りに押し付けた。
 嬉しい。嬉し過ぎる。
 もしかしたらこれがお守りの効力かもしれない。噂にあった恋愛成就なんて本当はただの迷信なのだろうが、私にとっては有難いご利益だ。
 帰り際、私は姫条君を連れて再度本殿にお参りをした。
 ……神様、この人が私の好きな人です。貴方のお守りのお陰で、今日は幸せな気持ちになれました。有難う──そしてこれからもどうぞ宜しく。
 お賽銭がささやかなのはかんべんしてもらう。何せ二度目なので小銭が無いのだ。流石にお札を支払うのは、高校生の私にとってきつい。
 目を開けてそっと横を見ると、姫条君は私以上に長くお願いしていた。
 その後、私は姫条君に送ってもらって帰宅した。最初は断ったくせにと私は内心で焦っていたが、姫条君は全然気にしていないようだった。私が嬉しさで舞い上がっていたのは言うまでもない。
 私は姫条君が買ったお守りで幸せになれたが、肝心の珠美ちゃんはどうなのだろうか。優越感から言う訳ではないけれど、彼女も帰宅途中で鈴鹿君にばったり会えていたら素敵だなと思う。そもそも彼女が誘ってこなければ、私ははばたき神社に行かなかったのだ。皆の願いが全部叶ったら大変なことになるけれど、やはり親しい人の幸せは願いたい。こういう気分になれたのも、言わば珠美ちゃんのお陰である。明日、学校へ行ったら早速聞いてみようと決めた。
 私は姫条君から貰ったお守りを胸に抱いて、しみじみと嬉しさに浸る。
 どうかいつまでもこのまま幸せでいられますように。













姫条君のSSは友人に関西弁変換をお願いする為、
ある程度仕上げた状態から仕上げまでにタイムラグがあるので
書き上げた時特有の新鮮な気持ちや爽快感は
アップ時には既に忘れていたりします。
これも、やっと終わったーという感じです。
苦労もなかったので印象薄いなぁ。
(20021101 UP)